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東京地方裁判所 平成3年(ワ)4621号 判決

原告

落合雄吉

被告

日本中央競馬会

右代表理事長

渡邊五郎

右訴訟代理人弁護士

畠山保雄

田島孝

中野明安

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。

第二事案の概要

一争いがない事実

1  被告は、競馬法等の法規に基づき、中央競馬を開催している者である。

2  被告は、平成三年四月七日、京都競馬場において第一〇レース桜花賞競走(以下「本件レース」という。)を開催した。

本件レースには、一八頭の競走馬が出走を予定していたが、いわゆる一番人気(一着を予想されて最も多くの投票がなされた馬)は、イソノルーブル号(以下「本件馬」という。)であった。

3  原告は、四月七日午前一一時三〇分頃、新橋の馬券売場(WINS新橋)において、連勝複式投票として、一枠と四枠の組合せに三〇〇〇円分、二枠と四枠の組合せに二〇〇〇円分投票した。本件馬はテイエムリズム号と共に四枠を構成していた。

同日一五時三八分、本件レースの投票券発売が締め切られ、投票が確定した。

4  本件レースの発走予定時刻は、同日の一五時四〇分であったが、同時三二分頃、既に馬場内に入場していた本件馬の右前肢に落鉄(蹄鉄がはずれること)が発見された。被告関係者によって、直ちに蹄鉄打替えが試みられ、発走時刻を延引して作業を続けたが成功せず、被告関係者は、同時四八分、やむを得ず装蹄作業を打ち切り、本件馬を右前肢跣蹄(蹄鉄を欠くこと)のまま出走させる決定を下した。同時五一分本件レースの発走が行われた。

結果として、本件馬は五着であった。一着はシスタートウショウ号(七枠)であったので、3に記載した原告の投票は、的中しなかった。

5  ところで、被告関係者は、蹄鉄打替え作業中に二度にわたり右作業を行っている旨を原告を含む前記競馬場に入場していた者(以下「入場者」という。)に告知したものの、本件馬が右前肢跣蹄のまま本件レースに参加する旨(以下「本件事実」という。)を入場者に告知しないまま出走を行った。

原告は、他の多くの客と同様、翌日のマスコミの報道によって初めて本件事実を知った。

6  本件は、原告が、被告の右5の措置を違法として、前記3の投票にかかる金五〇〇〇円の損害と精神的損害を受けたとして、不法行為に基づき合計金一〇〇万円の損害賠償を求めた事案である。

二争点

右の被告の措置は、違法か。

1  原告の主張

跣蹄では、馬はその競走能力に重大な支障が生ずる。したがって、本件事実はレースの動向を左右する極めて重大な事実であり、被告は、入場者に対して、本件事実を出走前に告知すべき義務がある。この義務を怠り、ほとんどの入場者に本件馬が蹄鉄を付けているものと誤認させたまま本件レースを行った被告関係者の措置は、詐欺ともいうべきもので、競馬法の規定に照らし著しく不公正である。

但し、原告は、被告関係者が本件馬を跣蹄のまま出走させたこと自体の違法は問わない。

2  被告の主張

一  被告関係者が、本件馬を跣蹄で出走させる旨を決定したのは、前記のとおり一五時四八分であったが、レース前の興奮した競走馬の状態に鑑み、出走時刻の伸延は一〇分が限度であった。したがって、本件事実を入場者に告知する時間的余裕がなかった。

なお、蹄鉄は、馬の競走能力やレースの結果に、直ちに影響を与えるものではない。

二  本件事実を出走前に入場者に告知したとしても、客の投票は既に確定しており、これに何ら影響を与えるものではない。したがって、被告が、入場者に対して、本件事実を告知すべき意味と必要性は認められない。

第三争点に対する判断

一まず、競馬に関する法令を概観する。

1  主催者

競馬は、被告又は都道府県が行うことができるが(競馬法(以下「法」という。)一条一項)、本件で問題となった中央競馬は、被告が開催するものである。被告は、競走の実施、勝馬投票券の発売、払戻し金及び返還金の交付並びに競馬場内及び場外の設備の取締りを自ら行わなければならない(競馬法施行令(以下「施行令」という。)三条一項)。

被告が競馬を開催する場合には、開催執務委員会が置かれ、開催執務委員が出走馬に関する事務、発走に関する事務、着順の確定及び異議の裁決に関する事務、馬の競走能力を一時的にたかめ又は減ずる薬品又は薬剤の使用その他競馬の公正を害すべき行為の取締りに関する事務、勝馬投票券の発売並びに払戻し金及び返還金の交付に関する事務等を処理する(施行令一五条)。

2  投票について

中央競馬においては、被告の発売する勝馬投票券を購入することによって勝馬に対する投票が行われ、勝馬を的中させた者は、一定の算出方法により算出された金額の払戻し金の交付を受けることができる(法八条ないし一一条)。

競馬の投票の方式は、単勝式、複勝式、連勝単式、連勝複式の四種に分けられ、その勝馬の決定の方法、勝馬投票法の種類の組合せ、その他の実施の方法については省令で定めることとされている(法六条)。

本件で問題とされている連勝複式投票法においては、第一着及び第二着となった馬を一組としたものが勝馬とされ(競馬法施行規則(以下「施行規則」という。)一条の二第四項)、これに投票しようとする者(馬券を購入しようとする者)は、出走予定の馬について第一着と第二着の馬が属する枠の組合せを的中させることにより、払戻し金の交付(法八条ないし一〇条参照)を受ける。この場合、枠の第一着及び第二着の組合せが的中すればよく、その順位を問うものではなく、また、枠内に複数の馬がいる場合には、そのいずれかの馬が第一、第二着になれば足りる。

勝馬投票券の発売については、その競走に出走すべき馬が確定した後でなければ発売できないし、その競走の発走の時までに締め切らなければならない(施行令八条、日本中央競馬会競馬施行規程(以下「規程」という。)一三五条)。

発売が締め切られた後は、投票の変更、取消しは受け付けられないこととなっており、これによって投票は確定する。締切り後、遅滞なく、各競走ごとに勝馬投票券の枚数が公表され(規程一三七条)、勝馬が決定したときは、遅滞なく払戻し金の額が公表される。

3  勝馬の決定

着順の判定については、被告の規約に定めるところにより失格とすべき馬を除き、最初に決勝線に到達した馬を第一着とし、その他の馬についてはその馬より前に決勝線に到達した馬の頭数に一を加えたものをもってその馬の着順とし、他の馬への衝突その他の被告の規約で定める方法により他の馬の走行を妨害した馬がある場合の競走においては、各馬の着順は、被告の規約で別に定める(施行規則一条の三第一項)。

4  競走等からの除外及び勝馬の裁定からの除外

被告は、競馬の公正を確保し、又は競馬場内の秩序を維持するため必要があるときは、馬の出走を停止すること等の処分をすることができる(施行令一四条)。

さらに、裁決委員(前記開催執務委員のうちの一として委員長、副委員長、馬場取締委員、発走委員等とともに置かれる。規程一四九条、一五〇条)は、馬が事故又は疾病のために出走することが不適当であると認めた場合、その他競走の公正を確保するため必要がある場合等(以下「競走除外事由」という。)には、その馬を競走から除外することができ(規程八八条)、また、発走委員は、所定の事由がある場合には、その馬を発走から除外する(規程九〇条)とされている。

さらに、同規程は、家畜伝染病にかかっている馬、その疑いがあると診断された馬等は競走に出走させることができないとする等競走について詳細で厳格な制限を設けており(七二条ないし一一八条)、競走が行われた場合でも、着順確定前に、決勝線に到達した馬につき不正な協定の実行その他不正な目的に供せられた場合等一定の事由がある場合(以下「失格事由」という。)には、その馬を失格とする(規程一〇八条)とされている。

5  投票の無効

勝馬投票券を発売した後、その競走につき出走すべき馬がなくなり、又は一頭のみとなった場合等には、当該競走についての投票は無効とされる(法一二条一項)。

また、発売された勝馬投票券に表示された番号の馬(連勝単式勝馬投票法及び連勝複式勝馬投票法にあっては、その勝馬投票券に表示された組のいずれかの番号の馬)が出走しなかった場合は、その馬(連勝単式勝馬投票法及び連勝複式勝馬投票法にあっては、その番号の属する組)に対する投票は、これを無効とし、連勝単式勝馬投票法及び連勝複式勝馬投票法において同一の番号を一組とした場合において、その番号の馬のうちいずれか一頭のみが出走したときは、その組に対する投票についてもまた同様である(同条二項)。

このようにして、投票が無効とされた場合(同条一項ないし三項の場合)には勝馬投票券の券面金額が返還される(同条四項)。

しかし、右以外に被告が勝馬の投票をした者に対し、(投票の的中の場合支払われる払戻し金のほか)その払込み金額の返還義務を負う場合の定めはない。

6  蹄鉄について

蹄鉄については、他の馬に危険を及ぼす虞がある鉄さいその他の加工をした蹄鉄を使用した馬を出走させることはできない(規程七八条)と定められているものの、馬に蹄鉄を装着させて出走させなくてはならないとする定めは存しない。

以上が競馬に関する法令の概略である。被告の定めている右規定は、競馬法のみにより実施することができ、公正かつ厳格な運用を行うべきことが求められている競馬について、合理的な規定を定めたものとみることができる。

二以上を前提に、本件レースについて検討する。

1  まず、前記争いのない事実、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨に従って本件の経緯をみるに、概ね以下のとおりと認められる。

本件レースは、平成三年四月七日の一五時四〇分に発走するものとして予定され、その直前の同時三八分に勝馬投票券の発売が締め切られた。そして、本件馬を含め、本件レースに出走予定の一八頭の馬が同時二五分に馬場内に入場を完了し、発走を待つ状況であったところ、同時三二分頃本件馬の右前肢に落鉄のあることが判明したため、被告の関係者により蹄鉄の打替えが試みられるとともに、同時三五分場内放送を通じて本件馬の蹄鉄を打替え中である旨が放送された。しかし、蹄鉄の打替えが完了しなかったため、本件馬の専属の装蹄師も加わって作業が続けられ、その間の同時三八分には予定に従って勝馬投票券の発売が締め切られ、本件レースの投票も確定したが、蹄鉄の打替えは完了しなかった。同時四〇分には発走の予定であったが、被告は、右作業のため発走を伸延した。他の馬については、発走のため、同時四一分に発走地点への集合合図を送り、集合させ、本件馬の装蹄を待ったが、本件馬が興奮状態にあったため、容易に装蹄ができなかった。被告は、その間、同時四三分には再度場内放送を通じて蹄鉄の打替え作業のために発走が遅延することを放送したが、その後、右作業が早急に完了しない状況にあり、本件レースに参加する馬の状態から一〇分程度の伸延が限度であると判断し、右の各馬を発走させることとし、予定より一一分遅れた五一分に発走させた。

2 ところで、蹄鉄の有無により競走馬の競走能力に影響を与えるかどうかについては、影響を与えることの可能性は否定できない(〈書証番号略〉)ものの、どの程度の影響を与えるかについては、馬の状態、馬場の状態等によっても異なると思われ、必ずしも明らかではない。のみならず、前記の競馬法等の法令によっても、装蹄して出走させねばならないとの定めはなく、跣蹄のまま出走させたとしても法令上違法とはいえない(弁論の全趣旨によれば、実際にも、競走中に落鉄することもないではない。)。さらに、本件馬には、前記の競走除外事由も存しない(この点は、前記のとおり原告の争わないところである。)。

また、前記のとおり、本件レースにおいては、本件馬のほかにも一七頭の馬が出走すべく既に馬場内に待機していたのであり、本件レースの公正を考慮すれば、本件馬の都合のみにより出走を決定することは許されないし、各馬の状態を考慮すれば出走を伸延する時間にも自ずから限界があると解される。

以上に鑑みれば、被告が、本件馬の装蹄作業を鋭意続けた上で、出走予定時刻より一一分遅れて本件馬を含めた各馬を出走させることとし、本件馬を跣蹄のまま出走させたことは相当な措置といえ、これをもって競馬の公正を害するものとはいえない(本件馬が前記の失格事由に該当しないことも明らかである。)。

本件馬が五着の結果となったことについて、跣蹄のまま出走したことがどの程度影響していたかはともかく、被告が、右の経過で本件馬を跣蹄のまま出走させ、勝馬の裁決について格別の配慮をしなかった措置は、競馬法等の関係法規に違反するものではないから、右の結果は容認されるべきものである。本件においては、原告が被告から払戻し金の交付を受け得ないのはもちろん、投票が無効となるべき事由が存しないのは明らかであるから、返還金が支払われるべき場合でもない。

3 本件馬の落鉄後の状況については、被告は、落鉄後遅滞なく二度にわたり場内放送を通じてその旨を周知させているのであるから、この経過には問題とすべき点はなく、被告は本件馬の状態を適切に入場者に告知していたといえる。

原告は、右の点について、被告は、出走前に重ねて本件事実を競馬場の入場者に告知すべきであった旨を主張する。しかし、本件では、被告が装蹄作業を試みている間に当初の予定どおり勝馬投票券の発売が締め切られ、投票が確定するに至ったものであって(このことは、前記認定の経過に照らすと、関係法令に従った合理的な措置といえる。)、投票の確定後に被告が本件事実を入場者に周知させたとしても、本件レースに投票した者は、既にした投票を変更することができるわけではないことは、前記投票に関する法令等に照らして明らかである。

このように、投票が確定した後出走前に本件事実を周知させたとしても、本件レースの投票に何らの影響を及ぼすものではないことに鑑み、なお、被告が、装蹄作業を鋭意続け、またその状況を入場者に二度にわたり周知させる等の相当な措置を尽くしている前記諸事情にも照らすと、本件事実を入場者に告知せずに本件レースの出走に踏み切った被告の措置は、その裁量の範囲に属するやむを得ないものといえ、競馬法等の関係法規に照らし違法とはいえないし、本件レースが詐欺であるとか、競馬として不公正であるとかいうことはできない。

原告の主張は、理由がなく、採用することができない。

第四結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官浅野正樹 裁判官升田純 裁判官中井川純子)

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